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人工言語学は、人工言語だけでなく、およそ言語と呼ばれるあらゆるものを、人工言語という創造的な観点から研究します。<br />
人工言語学は、人工言語だけでなく、およそ言語と呼ばれるあらゆるものを、人工言語という創造的な観点から研究します。
人工言語においては、すべてが認められます。どんな屈折変化も、どんな品詞も、どんな文法範疇も可能といえば可能であり、既存の言語学の範疇を完全に逸脱することもあるものです。人工言語は明らかに言語学の手に余ります。<br />
 
そのような理由から、人工言語学は、基本的に既存の言語学とは無関係な分野であり、特別な理由がない限り、言語学をただ前提として言語研究にあたることは推奨されません。言語学においては当然の事実であっても、研究に即して再検討されるべきです。
人工言語においては、すべてが認められます。どんな屈折変化も、どんな品詞も、どんな文法範疇も可能といえば可能であり、既存の言語学の範疇を完全に逸脱することもあるものです。人工言語は明らかに言語学の手に余ります。そのような理由から、人工言語学は、基本的に既存の言語学とは無関係な分野であり、特別な理由がない限り、言語学をただ前提として言語研究にあたることは推奨されません。言語学においては当然の事実であっても、研究に即して再検討されるべきです。
 
==背景==
 
セレン・アルバザード氏の立ちあげた人工言語学研究会の活動主旨は、人工言語を言語学の観点から分析研究しようというものでした。その理由から、研究の対象とされる人工言語は、言語学の対象となりうるだけの深遠さと運用実績を持ちあわせていなければなりませんでした。日々新しく作られる人工言語にそのようなことを求めることはできませんし、作られてからある程度時が経った言語も、往々にしてそこまでの発展は見られません。実際、人工言語学研究会が取りあつかったのはほとんどアルカだけでした。
 
人工言語には「どんなものでも作れる」という、途方もなくとりとめのない性質があるために、ある一定の基準を設けて研究対象を選りすぐろうとするのは理解できることです。ただ、それでは人工言語全体を研究しているとは言えません。そして、言語学という、ある意味 (人工言語にとっては) 恣意的に決定された基準による敷居の高さがあったこともまた事実です。人工言語学は、そのような基準を排して、人工言語のもつ限りない自由度に沿ったかたちで、開かれた研究を可能とします。


== 背景 ==
セレン・アルバザード氏の立ちあげた人工言語学研究会の活動主旨は、人工言語を言語学の観点から分析研究しようというものでした。その理由から、研究の対象とされる人工言語は、言語学の対象となりうるだけの深遠さと運用実績を持ちあわせていなければなりませんでした。日々新しく作られる人工言語にそのようなことを求めることはできませんし、作られてからある程度時が経った言語も、往々にしてそこまでの発展は見られません。実際、人工言語学研究会が取りあつかったのはほとんどアルカだけでした。<br />
人工言語には「どんなものでも作れる」という、途方もなくとりとめのない性質があるために、ある一定の基準を設けて研究対象を選りすぐろうとするのは理解できることです。ただ、それでは人工言語全体を研究しているとは言えません。そして、言語学という、ある意味 (人工言語にとっては) 恣意的に決定された基準による敷居の高さがあったこともまた事実です。<br />
人工言語学は、そのような基準を排して、人工言語のもつ限りない自由度に沿ったかたちで、開かれた研究を可能とします。<br />
[[カテゴリ:総論]]
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2024年4月4日 (木) 01:12時点における最新版

人工言語学は、人工言語だけでなく、およそ言語と呼ばれるあらゆるものを、人工言語という創造的な観点から研究します。

人工言語においては、すべてが認められます。どんな屈折変化も、どんな品詞も、どんな文法範疇も可能といえば可能であり、既存の言語学の範疇を完全に逸脱することもあるものです。人工言語は明らかに言語学の手に余ります。そのような理由から、人工言語学は、基本的に既存の言語学とは無関係な分野であり、特別な理由がない限り、言語学をただ前提として言語研究にあたることは推奨されません。言語学においては当然の事実であっても、研究に即して再検討されるべきです。

背景

セレン・アルバザード氏の立ちあげた人工言語学研究会の活動主旨は、人工言語を言語学の観点から分析研究しようというものでした。その理由から、研究の対象とされる人工言語は、言語学の対象となりうるだけの深遠さと運用実績を持ちあわせていなければなりませんでした。日々新しく作られる人工言語にそのようなことを求めることはできませんし、作られてからある程度時が経った言語も、往々にしてそこまでの発展は見られません。実際、人工言語学研究会が取りあつかったのはほとんどアルカだけでした。

人工言語には「どんなものでも作れる」という、途方もなくとりとめのない性質があるために、ある一定の基準を設けて研究対象を選りすぐろうとするのは理解できることです。ただ、それでは人工言語全体を研究しているとは言えません。そして、言語学という、ある意味 (人工言語にとっては) 恣意的に決定された基準による敷居の高さがあったこともまた事実です。人工言語学は、そのような基準を排して、人工言語のもつ限りない自由度に沿ったかたちで、開かれた研究を可能とします。