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音韻論

提供: 人工言語学Wiki

文法には語や形態素といったある程度長い音の連続的なまとまりを単位とした統語論形態論があるのと同時に、母音や子音といった極めて短い時間的長さを占める小さな音の単位(およびその他の発音の構成要素)を対象とする部分もある。後者、あるいは後者を対象とする研究は音韻論と呼ばれる。この極めて短い音の単位のことを分節という。言語音の物理的および聴覚的特徴その他の様々な側面を研究する音声学に対し、音韻論では言語においてどのような条件でどの分節が文中のどこに現れることができるかが研究される。語や形態素といった中間的な単位における分節の出現条件等が議論の対象となることもあれば、特定言語におけるある分節のより本質的な特徴を見極めようとしたり、文全体における分節の配列を研究することもある。比較言語学における音韻論では発音の通時的変化が議論される。

弁別的素性

弁別的素性とは

さまざまな学派・学説等において、分節は物理的音声ないし表層的な音声の抽象的な分節単位である単音と、個別言語ごとに認められ、その言語において弁別等に関しより本質的であると考えられる分節単位である音素に区別される。音素の存在論、形式的な定義、実務的な認定方法は学派によって異なるが、音素は物理的な音声とは異なりその言語における話者の音声に対する認識をよく表している、あるいは少なくともなんらかの意味で関連しているされることがしばしばある。音素の定義に完全な合意がなくても、単音よりも抽象的で対象言語の特徴を示す分節単位として広く認められており、大学等における音韻論の入門講座などでは言語データを分析することで音素のリストを抽出する練習が行われることもある。記述文法では対象言語の音素のリストを示すことが一般的であり、音韻論の中心的な議論は音素に関するものになることが多い。

音素の認定に関する最も主要な基準の一つは弁別性である。ある特定の個別言語にふたつの単音 A, B が観察され、両者がその言語において語の区別に用いられる場合には、A と B はその言語において弁別性があるとされ、またそれらは異なる音素に属すとされるのが一般的である。例えば、日本語のウの母音によく似た音の中でも韓国語では複数の音が使い分けられ、弁別性があるために異なる音素に属すものとされる。韓国語ソウル方言では後舌狭母音として非円唇のものと円唇のものが区別され、多くの場合これらはそれぞれIPAで [ɯ] (ないし [ɨ])と [u] で書かれる。言語ごとに異なる音素の分類は実際に話者の主観的な知覚と対応しているように見えることが非常に多い。同様の区別は日本語の狭母音にはなく、日本語のウの母音を韓国語話者が聞いた場合、さまざまな条件によりどちらか一方として聞き取られることがある。

同様に、子音に関しても言語ごとに異なる基準で単音が音素に分類される。破裂音等に関して口腔の閉鎖が解放される瞬間を基準とした周期的な声帯振動が開始されるタイミングは一般にVOT (Voice Onset Time) と呼ばれる値で表される。ハワイ語等、VOTを弁別に用いないとされる言語も多く存在する。VOTを区別するとされる言語でも、多くはVOTのみによる区別はふたつの子音の間でしか行われない。例えば日本語ではタ行子音とダ行子音の違いはVOTの大きさで記述でき、前者は比較的その値が大きく、両者と異なる値を持つ、VOTのみでどちらとも区別される子音はない。しかし3種類以上の区別をVOTによって行うとされる言語も存在する。韓国語では、少なくとも伝統的な分析の一つによれば、いわゆる平音、濃音、激音と呼ばれる子音のグループはVOTで区別可能であり、語中においては平音が最もVOTが小さく、激音が最も大きく、濃音がその中間である。

破裂音において、閉鎖の解放よりも前に周期的な声帯振動が開始される(VOTがマイナスである)ものを有声音、閉鎖の解放後に周期的な声帯振動が開始される(VOTがプラスである)ものを無声音ということがある。後者はさらに、解放とほぼ同時に声帯振動が開始される(VOTがゼロにちかい)無気音、解放から大きく遅れて周期的な声帯振動が開始される(VOTが大きくプラスである)有気音に分類されることがある。ただし、「有声音」「無声音」「有気音」「無気音」といった用語は必ずしも現代的なVOTの計測を直接の根拠として用いられるとは限らず、伝統的には有声音であるとされる分節が計測上はVOTがマイナスにならないとされる例もある。アメリカ英語の発話頭の破裂音はこのよく知られた例である。

声帯の振動の仕方やそのタイミングに関する弁別を喉頭対立という。喉頭対立はVOTだけでその全てが説明できるわけではなく、声帯の振動の仕方や息の出し方などによりさらに breathy voice や creaky voice といった区分が与えられる。韓国語や英語の喉頭対立もVOT以外に本質的な要素があると主張されることがある。喉頭対立が比較的多い言語では4種の子音を区別する言語もあり、ヒンディー語やサンスクリット語がその例である。

このように、言語によって実際に観察できる音の種類や頻度や分布などが異なるだけでなく、どの特徴が弁別に用いられるかも多様であるため、言語を分析するときは、音を収録するだけでなく、その言語においてどのような特徴が弁別に用いられ、それぞれのスケールでどこに幾つの境界線をおいているのかを知らなければならない。弁別に用いられるこうした特徴を弁別的素性とよぶ。弁別的素性は一般に分節を特徴づけるために利用可能であり、音素を記述する際にも利用される。「有気音」と「無気音」といった対立はその一例である。弁別的素性の概念が広く認められているにも関わらず、音素は音韻論の基本単位とみなされることもしばしばある。いずれにせよ、分節、単音、音素、そして弁別的素性といった音韻論で扱う抽象的な単位によって、年齢や性別といった言語と直接関係のない要因でさまざまに変わる物理的特徴を抽象化・理想化し、音声を離散的な単位の連続として解釈・分析することができる。

主な弁別的素性

母音

調音音声学では、母音の音色は口腔内における舌の最高点の位置を基準の一つにして記述されることが多い。ここで想定される口腔内の空間は理想化された逆さまの(底辺が短い)台形であり、舌の最高点の位置は高さの軸と前後の軸による平面上の位置として記述される。この台形は母音四角形あるいは母音三角形などと呼ばれる。舌の最高点が高い母音を高母音あるいは狭母音といい、逆に低い母音は低母音あるいは広母音といい、そのどちらでもない間の高さの母音を中央母音という。同様に、舌の最高点が前(唇に近い側)にある母音を前舌母音、後ろにある母音を後舌母音という。

母音の音色はさらに唇のすぼめ方によっても変わるため、舌の最高点の位置が同じ母音について、円唇母音と非円唇母音が区別される。円唇母音とは唇をすぼめて口腔の開口部を狭くして発音する母音であり、非円唇母音は逆に唇が狭められずに発音する母音である。円唇母音はさらに、唇のすぼめ方によって protruded vowel と compressed vowel に分けられることがある。Protruded vowel は唇を前に突き出して口先を小さく開ける構えで発音される。この時の口の形は蝋燭の火を消す時の形に似ている。Compressed vowel は唇を前に突き出すことなく、下唇を持ち上げて開口部を狭くして発音される。東京方言のウはこの形をしていることがある。

母音の音色は常に調音的実態に直接基づいて記述されるわけではない。舌の最高点に関する記述であっても母音空間は理想化されたものであり、また実際の舌の形状を物理的に計測していることばかりではない。話者の運動感覚に基づく記述である場合がある。口腔内の空間の物理的な形を記述するのではなく、発音される母音の音声を音響的に分析して母音を分類する場合もある。音響音声学で用いられる方法である。一般に傾向として舌の最高点が高いほど母音の第1フォルマント周波数が低く、また舌の最高点が後ろにあるほど第2フォルマント周波数が低い。また円唇母音は同条件の非円唇母音よりも第2フォルマント周波数が低い。フォルマントは現代では一般的なノートPCなどにより比較的簡単に抽出できるため、口腔内の運動を精密に観察する機器がない場合は音響に頼る方が正確な分類が得られることもある。調音的特徴が運動感覚によって推定できる場合があるのと同様、フォルマント周波数も聴覚的に推定可能であり、特に記述言語学では言語学者は話者の発音を聞き取ってある程度正確にその特徴を書き取ることが求められることがある。

音韻論で扱う母音の弁別的素性に完全な合意があるわけではないが、比較的広く受け入れられるものを挙げると次のとおりである。

  • [± high]
  • [± low]
  • [± back]
  • [± round]

これらの弁別的素性よる記述では、狭母音は [+ high, – low], 中央母音は [– high, –low], 広母音は [– high, + low] となる。同様に、前舌母音は [–back], 後舌母音は [+ back] となる。円唇母音は [+ round] であり、非円唇母音は [– round] である。この分類を一般的な発音記号を用いて表にまとめると以下のようになる。

– back + back
– round + round – round + round
+ high – low i y ɯ u
– high – low e ø ɤ o
– high + low æ œ ʌ ɔ

ここでは音声記号は国際音声記号 (IPA) のものを採用しているが、IPAはこれよりも遥かに複雑な母音体系を仮定しており、記号の数も多いため、ここに当てはめた記号は一例に過ぎない。

実際にはこれら [high, low, back, round] の4つの素性だけでは現に存在するさまざまな言語の母音を弁別的に十分に区別することはできない。ドイツ語のような比較的母音が多い言語の音色をこれらの素性だけで十分に区別することはできない。さらに、いわゆる高さと前後だけで記述可能な母音空間における位置だけでなく、喉頭、咽頭、さらに鼻腔に関する弁別が存在する。このうち、母音の発音の際に口腔から見て鼻腔が開放されているかどうか(鼻音声)は [± nasal] という弁別的素性によって表されることが多い。

子音

子音についても完全に受け入れられた弁別的素性の理論はないが、調音位置、調音方法、喉頭、および鼻腔に関する弁別的素性が広く認められる。

調音位置は主にその子音を発音する際に最も強い狭窄が声道のどこで作られるかに関連する。以下の素性は比較的良く知られている。

  • [± labial]
  • [± coronal]
  • [± dorsal]

閉鎖音で言えば、唇を閉じて(その後解放することにより)発音する [p] や [b] などの音は [+ labial] である。同様に、舌の先端やそれに比較的近い部分を口腔内で持ち上げることで閉鎖を形成し(その後解放することにより)発音する [t] や [d] などは [+ coronal] である。これに対し、舌の比較的後ろの部分を口腔内で持ち上げることで閉鎖を形成し(その後解放することにより)発音する [k] や [g] などは [+ dorsal] である。素性同士の依存関係を規定する feature geometry の理論においては母音の記述に用いられる [high, low, back] などの素性は [± dorsal] に属すと考えられることもある。また、円唇母音は [+ labial] であり非円唇母音は [– labial] であるとされることもある。さらに、母音のうち前母音は [+ coronal] であるとされることもある。弁別的素性の理論は多様であり互いに競合しており、こうした不一致はその一例である。

調音方法に関する素性は以下がよく知られている。

  • [± sonorant]
  • [± continuant]

共鳴音は [+ sonorant]、阻害音は [– sonorant] である。また閉鎖音は [– continuant] であり、それ以外の母音、接近音、摩擦音など(これらをまとめて継続音という)は [+ continuant] である。共鳴音は口腔に強い狭窄がなかったり、鼻腔が開放されていたりすることにより、声門より上の領域における圧力が低く、肺からの気流が声帯を速い速度で通過する。それに対し阻害音では口腔において閉鎖や強い狭窄などが形成されることにより、声門より上の領域における圧力が高く、肺からの気流が正門を通過する速度が遅い。継続音は口腔が完全に塞がれることがない発音であり、日継続音は逆に、口腔が完全に塞がれる瞬間が存在する発音である。このことを表にまとめると以下のようになる

– continuant + continuant
– sonorant p f
+ sonorant m w

ここで選んでいる記号は一例である。また [p, f, m, w] の全てが [sonorant, continuant] 以外の全ての条件を共有しているわけではない。例えば、[m] は鼻音であるが他の3者はそうではない。

摩擦音接近音といった伝統的な分類はこれらの素性の組み合わせによってある程度近似することができる。同様に例を示すと以下のようになる。

– continuant + continuant
– sonorant 閉鎖音 摩擦音
+ sonorant 閉鎖音(鼻音) 接近音

[sonorant, continuant] の定義に従い、母音は狭窄が弱く、かつ口腔が閉鎖されないため、接近音と同じ [+ sonorant, + continuant] となる。

伝統的な分類と弁別的素性による記述は常に綺麗に対応するわけではないが、弁別的素性は伝統的な用語によって説明されることも多い。

有声性に関する素性は [± voice] が最もよく知られている。これはVOTに関する素性だが、具体的にどのような条件でどのようなVOTの値にこの素性が対応すべきかはよくわからない。ただし、[+ voice] は [– voice] に比べ、他の条件が同じならば VOT の値が小さいということは常識である。VOTの対立自体は常に [± voice] の2値で表し3種類以上の喉頭対立が存在する言語においては他の素性を活用する理論もある。文献によっては [± voice] と同時に [± aspirate] を設定し、伝統的な「有声音・無声音」と「有気音・無気音」の対立をそのまま再現できるようにしているものもある。VOTの対立がちょうど2値であれば必ず [± voice] がそれに対応するとは限らず、喉頭対立がちょうど2値であるとされるアメリカ英語においても、[± voice] とは別に設定する [± tense] などの素性でその本質を捉えようとする立場もよく知られている。

鼻音性に関する素性は [± nasal] がよく知られている。nは調音位置が歯茎の鼻音、mは調音位置が両唇の鼻音である。鼻音は有声であることが多い。Element theory では、鼻音に直接対応する素性はなく有声性と鼻音性はそれぞれ同じ要素の実現形の一つであると主張されることもある。

その他

多くの言語においてピッチは文レベルの意味の表示に使われるが、ピッチを語彙的な弁別にも用いる言語もある。そのような言語の一部は声調言語と呼ばれる。

声調言語はピッチに関する情報が音節などの何らかの韻律単位に対して与えられる形で記述されることが多い。かつては分節の弁別素性の一つとしてピッチに関する表示を行うことも試みられたが、少なくとも現在では主流のやり方ではない。声調という言葉はそのような語彙弁別的なピッチに関する情報や弁別素性に関する区分を指して広く用いられる。

声調は分節の弁別素性のようにブラケットで囲ったラベルにプラスやマイナスの符号をつけることで示されることは多くなく、各値についてHやLといった専用の記号を割り当てて示すことが多い。例えば、音節に声調が与えられる言語で、3音節の単語の声調を示す場合、HLL や LLH などといった表示が可能である。

分節音における場合と同様、声調に関しても完全に合意された弁別素性の体系は存在しない。言語によっては声調の記号はHとLだけで良い場合もあるが、音節ごとに静的な高さの値だけでなく、高さがどのように変化するかが弁別される中国語やベトナム語のような言語もある。それが付与される単位について高さの段階だけを示す種類の声調を段階声調といい、それに対してその単位の内部におけるピッチ変化を示す種類の声調を曲線声調と呼ぶことがある。